徒然オーストラリア日記

オーストラリアでの生活 バイリンガル子育てメインで、これまであったことや、思うことを色々書いています・・・。 バイリンガル育児をされている方、これからされる予定の方などと情報を共有できればと思います。。。 オーストラリアに来て、はや10年。今は、子供が4歳になりました。 毎日試行錯誤です・・・。


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オーストラリアの闇歴史?!|オーストラリアのこれまで・・・

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こんにちは

前回、オーストラリアの闇についてお話しさせてもらいました。

 

(記事はこちらです↓。)

 

tsurezureaus.hatenablog.com

 

オーストラリアの言語ってなんですか?って言われたら「英語」と思う方が大多数だと思いますが、実際はちょっと違うと思っています。忘れてはいけないことばがあるんです・・・。

 

今日はオーストラリアの闇の歴史について、少し深掘りしてみたいと思います。

 

Terra nullius について

歴史をさかのぼること、300年前の話から・・・。

 

From 1788, Australia was treated as a colony of settlement, not of conquest.

 

1700年代からオーストラリアへの移住が始まったそうです。つまり、ヨーロッパの人たちがやってきたんですね。征服ではないとありますが・・・

 

オーストラリアは当時Terra nullius だということになっていました。Terra nullius とはthe land belonged to no-one, つまりだれのものでもなかった土地という意味です・・・。

 

その当時、先住民は約30〜100万人いたそうです。そして、入植により、病気や虐殺でなくなった数も相当数・・・ 250ほどあった言語も今は20ほどしか残っていないそうです。

 

1992年になって、ようやくオーストラリアは、そのTerra nullius と言われていた土地は先住民の方のものであると認めることとなったようです。

 

 

humanrights.gov.au

 

 

つまり、それまでは征服ではなかったということが、その年になってはじめて、そうではなかったと認めることになったんですね。

 

政府のサイトでそのような言葉があったのは、大きいですね。国として認めているということですから・・・。

 

 

 

保護政策

 

19世紀終わりごろから、各地で先住民の方と他のオーストラリア人との関係をコントロールする法律ができるようになってきました。そして、先住民の方の人口減を食い止める動きとなっていったようです。

 

同化政策

 

1930年代あたりには同化政策がとられました。この同化政策の目的は、一緒になる=仲良くするということは名目上で、

 

先住民の人たちが、自分たちのアイデンティティをなくし、先住民問題を次第に消滅させていくしていくようなことが目的にあったようです。

 

 

保護政策や同化政策は、保護するという名目なだけで、先住民の人たちにとてもきついものでした。

 

  • 先住民の子どもたちを分離して教育すること
  • 夜間外出禁止令
  • アルコール禁止
  • 社会保障なし
  • 低賃金
  • 先住民の子供たちは州が後見人(保護者の役割)
  • 住む場所が街の外の遠いところ

などです。

 

同化政策の最たるものは、先住民の子供を親から離すことでした。そうすれば、同化もうまく進むと考えたようです。

 

子供が親から離れれば、ことばも奪われますよね・・・。

 

私たちが日々行っている、自分のことばを子供に伝えていくということが奪われるのですから・・・。

 

先住民の言語、オーストラリアの言語が奪われていったと言っても過言ではないように思います。

 

 

Stolen children or stolen generations(盗まれた世代)・・・

 

先住民の子供たちが、合法的に、親元から離れさせられた時代

 

州によって、どのようであったかは違うのだそうですが、

保護区の寮に入れさせたり、先住民だけの施設に入り、畑労働や家の使用人などをさせられたり、先住民でない家族に養子になったりすることもあったようです。

 

この世代の子供たちは、虐待を受けたり、教育を受けられなかったり、様々な悪影響をもたらしたと言われています。

 

その期間がだいたい数十年・・・ビクトリア州は1871ー1957年まで続いたようです。

 

ようやく人権を尊重されるようになったのは1960−70年代あたりだそうです。そんなに遠くない昔ですよね・・・。

 

 

まとめ

 

今は、暗い部分が見えにくいですが、自分が生活している場所にはそういう歴史があったんだと知るだけでも、大きな意味があると思っています。

 

この歴史があるからこそ、継承語教育(いわゆるバイリンガル教育)もオーストラリアでは尊重されているように思います。

 

そして、いつも見かける質問事項は、そういう歴史があったうえでの質問なんだと、納得できます(前回記事参照してみてください!)。

 

生活しているのだから、他人事であってはいけないし、それを踏まえての行動をしないといけないと思っています。

 

なんだか 

 

ずーん⤵️

 

ってなってしまう歴史ではありますが、でもどこの国も、そんな気持ちになる歴史は少しはあったのではないかと思うんです。

 

大事なのは、

 

これからだって思いたいです! 

 

ブレグジットアメリカファーストなど、掲げている国もあります。

 

オーストラリアはどうなっていくんでしょう・・・。

 

私には投票権がありませんが、今後は気になります。

 

でも、チビが歌っている歌が一筋の小さな光となって、明るい未来をもたらしてくれますように・・・。

 

Inanay capuana, baby songs to sleep - Video for kids song - YouTube

(前回の記事とは違うバージョンです♪)

いい歌〜♪  大好きです・・・。

 

 

読んでいただき、オーストラリアを知っていただき、ありがとうございました。

 

これからも、オーストラリアの良いところだけではない面も紹介していけたらと思います😊。